2011年6月29日アーカイブ

【専修大学石巻校舎構内ボランティアセンター

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石巻市一帯をケアーするボランティアセンターとして、専修大学石巻校舎を利用している。広大な敷地で、校舎の前に広がるグランドが、活動拠点として利用されていました。こうした場所に、ボランティアの方々は自分でテントを張り、自己完結型のボランティア活動を展開しているとのことでした。現在はボランティアの数は、少なくなっていますが、連休中は、ボランティアがあふれてごったがえしていたようです。

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2日目の最後として、専修大学石巻のボランティアセンターで、参加者全員で記念撮影をしました。

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今回「箱根温泉AID東日本復興支援活動」に参加して、やはり実際に自分の目で被害の状況を見てこなくては、実感できないことが多い事を理解することができました。声を掛けてくれた、団長の田村洋一君、全体の取りまとめに扮装していた会長の駒 慎司君、すべての日程で色々配慮してくれました牧島かれんさん大変お世話になりました。

復旧復興と言われているが、3か月も経ってこれでよいのかと思うばかりで、がれきの処理、町づくり計画、被災者の雇用など数えきれない課題が山積しており、やはり現地に来て地域の事情にあった、支援をしていかなければならないと思いました。

同じようにして感じたことは、この復興には市町村では全く対応できるものではないので、3か月もたっているのであるから、国が早急にはっきりとした復興計画を示さなければならないわけで、雇用もないところにひとな残らないし、町そのものが復興されず消滅してしまうのではないかと心配します。
帰ってきてからのニュースでは、国は相変わらずのていたらくで、官総理の記者会見の様子や両院議員総会の様子など見ると腹が立ってきます。早く辞めて、やるべきことを全員でやってほしいものです。


【石巻市避難所・飯野川第一小学校】

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洞源院を撤収してすぐに昼の避難所に移動となり、飯野川第一小学校に向かう。ここは、平成17年4月1日に1市6町によって市町村合併をした、旧河北町の小学校で、海岸から離れた内陸部にあるために、周辺地域には地震による街並みに大きな傷跡はないが、それでも玄関などが歪んでいる家屋は、建築基準前とかなり家屋と物置の様な建物で、崩れてはいないがひびが入る程度でした。悪く言えば壊れるべくして壊れたと言っても良いような感じでした。

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避難所の小学校体育館には、ちょうど自衛隊の音楽隊が慰問に来ていて、音楽隊の演奏が聞こえていました。その音楽を聴きながら、参加者とともに昼食と足湯の準備を進める。早朝に行っていたので、設定には時間がかからず、みんな手際よく行動する事が出来ました。


ここでの被災者も震災当初より人数は少なくなっており、物資もある程度行き届いているようで、多くの人には余裕の表情も伺われ、内陸部で周辺には被害の家屋が少ないので、ここの被災者は他の地域より移動してきたものと思われます被災者の様子は、働き盛りの男性が少ないようで夫人と子供が比較的多いようでした。



【石巻市避難所・曹洞宗洞源院】

源院へ避難している方と、近くの公営観光施設に避難している人を併せて現在は80名程度の被災者が住居している。震災当初は、この避難所に400名程度の人たちが避難していて、その頃は食糧不足に悩み、お粥をすする状態であったそうです。

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 月日が経過するにつれて、被害の状況や周辺の状況が分かるころには、震災の被害を受けて地域に持ち家がなく、尚且つ仕事に対する適応性のある、働ける若い人から避難所を去って行き、現在残っている方々は、比較的年輩の方が多くなっているようです。また、若い人は働ける場所に関して石巻にこだわりがないとのことで、内陸部にそのまま移動してしまっているために、今後そうした方々が町に戻ってきてくれる保証はないので、復興の町づくりにも不安を抱いていました。

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会議所箱根青年部を中心としての炊き出しと、足湯の提供は、早朝到着してからすぐに開始され、7時には提供することができた。朝食のメニューはご飯・味噌汁・アジの干物・湯葉・海苔・温泉たまご・ウインナー・かまぼこ・野菜サラダでトレーにいっぱいになるほどしっかりとしたメニューであった。朝食を食べて働きに行く人もいるので、ボリュームのある食事を希望されたとのことでした。

足湯に関しても工夫された道具を持ち込み、被災者の方々は喜んで利用していた。本来であるならば、夕方ビールでも飲みながら入ってもらう方が気持ちいでしょうけれど、日程上申し訳ないです。

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避難所の洞源院の大黒さんで、震災当時の話を伺いました。大変な時期を過ぎてようやく落ち着いてきたとのことですが、今後の寺院の運営も大変な事だと思います。お寺は、お大黒様で成り立っているのですから、道のりは長いことでしょうが、みんなで力をあわせて復興を果たしていただきたいと願いました。

石巻市の被害状況は、街中を移動中に見て感じたことは、報道で知っているような街並みが、更地のようになっている訳ではなく、建物はかなりの数存在していた。しかし津波の影響を受けた建物は、すべて一階部分の内部に家具等を見ることはできず、がれきが散乱しているような様子で、言い換えれば建物の柱のみで、中身が存在しない状態でした。

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 幹線道路の確保と信号等の復旧はできているが、路地に入ると、がれきが邪魔をしているようで、安全には歩行できなところも存在する。このような復旧されていない街の中にも、歩行している人々や、まれに犬の散歩をしている様子を見受けられたので、人の生活の姿が見られるし、その様子も落ち着きを取り戻しつつあると思われました。

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日本の家屋は地震に対する耐久性は保たれているが、津波によっての被害がこれほど大きな影響にあるものを改めて実感した。被害は海岸に近付くほど甚大であり、河川も地盤沈下か津波によるヘドロの堆積の影響かは判断できないが、水位の上昇が顕著で、下流への水の移動も遅く滞留しているようである。これから台風による増水の影響が心配された。

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 24日から26日までの間、箱根温泉AID実行委員会が主催で、小田原箱根青年会議所箱根青年部が企画運営をする、「東日本復興支援活動」に参加してきました。参加するきっかけは、今回の団長である強羅の田村洋一君からのお誘いいただき実現をしました。議会にも呼びかけをしたところ、副議長の沖津弘幸議員、村上東司議員、遠藤秀則議員、稲葉親太郎議員が参加してくれました。現地での活動計画に関して、牧島かれんさんが多くの場面で協力をしてくれました。しかも、3日間同行して同じように活動をしてくれていました。まったく頭が下がる思いです。

訪問した場所は

  石巻市避難所・洞源院

  石巻市避難所・飯野川第一小学校

  専修大学石巻校舎構内ボランティアセンター

  松島野外活動センター

・ 松島町観光協会
の5か所です。
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出発前の様子です。夜出発は若いころのスキーツアー依頼ですので、明日しっかり働けるかが心配です。

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